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水着の歴史
海水浴が海に面した地域の人々だけで行われていた古代~近世では、
「海水浴のための特別な衣服」を用意するという認識は一般的ではなく、
下着姿や着古した普段着、時には裸で水につかることが多かったと見られている。
一方ポンペイで発掘された壁画では、女性が後のビキニによく似たツーピースの覆いを着けている様子が描かれている。
鉄道網の発達により、一般の人々が海浜地域に出かけることが容易になった1800年代には、
水に濡れても肌が透けて見えないようにサージやフランネル・アルパカなどの生地で作られた、
肘丈の袖のついた服と膝まで覆うパンツの上下そろいの服が着用された。
1900年代に入ると胸ぐりの深い、袖なしのメリヤス製水着が登場、以後肌の露出部分が大きいデザインへと変化していく。
1907年に「水面下のバレリーナ」との異名で有名だったアネット・ケラーマンが
アメリカを訪問、これまでの上下そろいで水中の動きを妨げる水着よりも動きやすい、
首周りや手足が露出したワンピース型の水着をボストンビーチで着用した際、
公然わいせつ罪で逮捕される事件が起こった。
体の線がはっきりと現れるワンピース水着は、大胆で活動的な新しい水着の形を社会に示しただけでなく、
女性の権利を拡大する運動が盛んだった当時、アネットによる「女性が(活動的な)ワンピース水着を着る権利」のアピールとして受け入れられた。
1920年頃には短いスカートのついたキルト式水着や、
スカートを省略し上下を一体縫製した、半月型の深い胸ぐりと
身頃から裁ち出した幅の広い肩ひもを持った「タンク・スーツ」が流行した。
活動的・機能的なタンクスーツのデザインは日本で「スクール水着」として知られている学童用水着に継承されている。
1946年にはフランスのデザイナー、ジャック・エイムによってビキニと名づけられた肌の露出の大きいツーピース水着が発表される。
「ビキニ」の名は水着の刺激的な印象と当時行われたビキニ環礁での原爆実験の衝撃的な印象が結び付けられたこと、
またビキニ島周辺の原住民の伝統的な服装に由来するといわれている。
1964年には、アメリカのルディ・ガーンリックによりビキニのブラジャーを省略した「トップレス」が発表された。
1970年代後半には脚回りの裁ちを高くした「ハイレグ・カット」が登場、
伸縮性・耐塩素性の高いストレッチ素材が一般的に採用されるようになった。
ロサンゼルスオリンピックの開催された1984年以降には、
フィットネスクラブやスイミングクラブで健康づくりの一環として水泳を楽しむ、
競泳選手以外の人々が増加。競泳水着やこれを基にしてデザインされた体型補正機能を備えた水着の市場が拡大した。
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